第478夜 【くさいむし かめむし】

【とっくりばち】
福音館書店 かがくのとも 通巻246号 1989年9月1日発行
吉谷昭憲 さく
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改めて、「科学」というものには微炭酸のようなさわやかさを感じます。
この絵本に出てくる感情らしきものを表現した箇所は、おそらくたった一箇所、
「だれにも おそわらないで (巣を)つくるなんて、とっても ふしぎだね。」
だけです。
あとは、淡々と事実や観察結果を述べるのみ。
もちろんそれが退屈だなどと、これっぽっちも思いません。

同僚の理科の先生に、生徒が「点描」で蜂やアリを描いた作品を初めて見せてもらった時には、本当に感動しました。
「これ、本当に生徒が描いたんですか?!」
気の遠くなるような数の点で、昆虫の体を描いていたそれらの作品、思わず何枚かはコピーをとって持ち帰りました。

「点描」で描く昆虫はなぜにこんなにも美しいのでしょうか。
この絵本ではトックリバチ、およびその仲間が数種類、点描で描かれていますが、“見とれる”という表現がぴったりです。
まるで女性のウエストのようにくびれた胴体の中心部分。
キゴシジガバチにいたっては、ほとんど管です。
その形状のバランスのよさ、美しさにおいて、蜂は昆虫の中でも群を抜いているのではないでしょうか。

さて、トックリバチの仲間が、いっしょうけんめい運んだ泥の団子で作った巣、確かに私もいたるところで目にしたことがありました。
家の壁や葉っぱの裏に、ペタリとくっついたような土の破片、それらが実は蜂の巣でした。
それにしてもこの巣の中に、数々の蛾の幼虫やクモがえさとして運び込まれていたとは。
泥のツボのようなこの蜂の巣の中に、一匹の蜂の幼虫のために蓄えられた蛾の幼虫の数が、なんと35匹!
「こんなに たくさんの がのようちゅうが はいっている。」
という説明と一緒に並べて描かれている蛾の幼虫の絵に、思わず「うへぇ~っ!」と声を出してしまいました。

蜂によっては、泥の巣の形がさまざまですが、オオフタオビドロバチの竹を利用した巣には恐れ入りました。
ほとんどワンルームマンション、いや、宇宙船の個室、といった感じです。
こういう虫たちの行いは、「習性」というものなのでしょうが、そうなるまでに綿々と引き継がれてきた「知恵」の集大成というべきものかもしれません。

虫に関する絵本を読んでいつも思うのは、きっとこれらの絵本の作者たちは、本当に虫が好きなんだろうなということです。
しかし彼らは、そういう感情を超越した冷静さで虫を見つめ、私たちにわかりやすく紹介してくれます。
もともと虫が苦手な私でも、蜂を美しいと思い、その生態に興味を持たずにはいられなくなるのは、ひとえに吉谷昭憲氏を初めとする、こういう絵本作家さんたちのおかげと感謝しています。


ふんをたべるむし ふんちゅう】
福音館書店 かがくのとも 通巻267号 1991年6月1日発行
吉谷昭憲 さく
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「ふんちゅう」という名前を聞いただけで、入り口から入らず引き返してしまう、正直言って私はそんなタイプの人間でした。
それが、絵本という間口のおかげで、今回思わぬ感動を味わうことができました。

確かにフンチュウは糞を食べる虫ですから、イメージとしては“快”ではありません。
しかしそれも、「ふんボール」の存在を知るまででした。

フンチュウのメス親が作ったふんボールの中の幼虫が、ふんボールを食べながらどんどん成長し、やがて自分自身の糞で新たなふんボールを作り、その中でさなぎになって親になる日をじっと待つ様子に感動します。
蜂のように、他の虫の幼虫をえさとして大量に摂取したりしないのです。
糞を食べて、糞を出し、その糞を食べて成長する、この効率のよさはどうでしょう。

ちなみにふんボールは、糞でできているとは思えないほど臭いもしないとのこと。
そのものが幼虫を守り、栄養となるという優れものです。

絵本のおしまいの方の見開きのページに、犬の糞、牛の糞、牛の糞、鹿の糞、と、動物ごとの糞が並んで描かれています。
ここまでこの絵本を読んでくると、もはや糞に対しての嫌悪感はかなり薄れています。
というより、ほとんどありません。
それらの糞をどんなフンチュウが食べ、その中に卵を産むのかが一目瞭然の絵です。
「ふ~ん」と、シャレでもなんでもなく感心してしまいます。

フンチュウは小さいけれどもとても力が強い、それは実に当然のことのように思われます。


みずのうえでくらすむし あめんぼ】
福音館書店 かがくのとも 通巻280号 1992年7月1日発行
吉谷昭憲 さく
立川周二 監修
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私の記憶では、アメンボは実家の後ろのセキ(小川のようなもの)にいつでもいました。
アメンボというと、池などのように流れのないところをすいすいと動いているイメージですが、私の記憶のアメンボは、流れのあるところをすいすいとやっていたのでした。

疑問に思っていたことの説明を受けると、頭の中にかかっていた雲が取り払われるようで、なんとも爽快です。
今回はこの絵本で、「アメンボは流れのあるところでも生息するのか」という疑問の雲が一掃されました。

「池が好きなアメンボ、田んぼや小川が好きなアメンボ。
学校のプールや海にもアメンボはいる。
どれも自分の好きなところに住処を持っている。」

おしまいの見開きのページには、アメンボマップがあります。
本当にありがたい。

そして、今回最も「へぇ~」と思ったのは、アメンボは体全体が水に浮いているわけではなく、脚の先だけで浮いているということです。
それも、真ん中の短い脚でこすることによって水に浮く状態を整えているということ。
「ねこの毛づくろい」のようなことをアメンボがしているのです。

そしてなんと、アメンボは5回も脱皮をして成虫になるということ。
さらには、住んでいる池にえさがなくなったら、飛び立って新しい住処を探すとのこと。
これからいろいろなところでアメンボを見かけたら、見る目が変わることは明らかです。

ちなみに、今回読んだ絵本に登場する虫たちのほとんどが脱皮をします。
それも1度ではなく、5回というのが多い。
人間もそんな風にわかりやすく成長していけたらいいんですけれど。


【とんぼ】
福音館書店 かがくのとも 通巻292号 1993年7月1日発行
吉谷昭憲 さく
松木和雄 監修
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実家のすぐ後ろにはセキと呼んでいた小川がありました。
もちろんコンクリートで縁取られたりなんてしていません。
土です。
きれいな水は、水底の水草や小さな生き物たちも、包み隠さず見せてくれていました。

そのセキの水辺には、いろいろなトンボがやってきました。
中でも印象的だったのは、神様トンボと呼んでいた細い細いトンボです。
実にはかなげで、余計なもののおよそない身体に、トンボの中でもとても特殊なものを感じていました。
子どもの頃には名前を真にうけ、本当に神様のように思っていたものです。

小学生の頃、夏休みももうあと少しという頃、友達と川へ泳ぎに行った帰り道で見上げた空に、宇宙的な数で飛んでいるトンボを見ては足を止め、しばらくじっと(おそらく口をポカンとあけたまま)立ち尽くしていたものでした。
秋の刈り入れの手伝いをしていた田んぼでは、まさに赤い赤とんぼを指にとめては嬉しがりました。
大きなクモの巣に、これまた大きなオニヤンマが引っ掛かっているのを見た時のなんともいえない悲しさ。
こうしてトンボの記憶をたどってみると、子どもの頃の自分を取り巻く風景や生活が鮮やかによみがえってきます。

教師になってからのトンボの思い出は、何と言っても、教室がトンボだらけになっていたある朝のことです。
前日にプール掃除をした生徒たちが、バケツいっぱいのヤゴを教室に持ってきました。
たまたま教室には空きの水槽がありました。
そこにヤゴを入れて飼うことにしたのです。
一番意欲を見せたのが、遅刻の常習犯で、その当時いわゆる“ツッパリ”と呼ばれていたSという男子生徒でした。
剃り込みはもちろん、コートのような学ラン、眉は短く薄く、いつも人や物をハスに見ていた彼、どちらかというと同じような仲間の中でもおとなしいタイプだった彼が、「先生、ヤゴ飼おう!」と、自分の意志を表明したものですから、ノーとは言えませんでした。

翌日学校へ行くと、私を玄関で待ち構えていた数人の生徒が、「先生、大変です。教室がトンボでいっぱいです!」と言うではありませんか。
4階の教室へ駆け上がってみると、教室の上空(?)、天井付近を、すごい数のトンボが旋回して飛んでいました。
窓を開けてもなかなか出て行きません。
そのうちどんどん他の生徒も登校してきます。
驚きから困惑、そしてついには愉快な気分になってきました。
こんな光景はそうそう見られるものではありません。

結局2年2組の生徒たちは、午前中の授業をトンボと一緒に受けました。
そして給食の時間までには、無事すべてのトンボが窓から外へと旅立ったのでした。

以上、私のトンボの思い出です。


くさいむし かめむし】
福音館書店 かがくのとも 通巻459号 2007年6月1日
吉谷昭憲 さく
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数いる虫の中で、作者がカメムシにスポットを当てたことに、驚きと敬意を表します。

私の実家の隣には、大きな栗の木と杉の木があります。
そのどちらかに生息するのであろうカメムシが、家の中に入り込んで、困ったことに寝具の間にまんまと忍び込んでいることがあるのです。

去年の年末に帰省して、布団を敷こうと思ったら、夥しい数のカメムシが出てきて参りました。
すぐさま掃除機で吸引したのですが、そのうち掃除機から例の強烈な臭いがしてきました。
正確に数えてはいませんでしたが、数十匹は吸い込んだと思います。
掃除機の紙パックの中の、カメムシ軍団を想像しただけで、呼吸が苦しくなるようでした。

数日してまた掃除機を使ったら、またしてもカメムシの匂いがしました。
ギエ~と思いましたが、紙パックを覗く勇気はありませんでした。
私の知らないところで母が処分してくれることを祈り、そのままにして実家を去りました。

本当は、絵本の中とはいえ、カメムシにはもう会いたくありませんでした。
しかし、あえてこの虫を主人公にされた吉谷氏の情熱を無視するわけにはいきません。
できるだけ冷静に読むことにしましょう。

さて、絵本を読みながら、カメムシに対する私の感情(評価?)は、シーソーのように上がったり下がったりしました。
カメムシのメスがたくさんの小さな卵をお腹の下に抱えている絵を見た時には、思わず、「やめてくれ~! そんなにもたくさんのカメムシをこの世に送り出すのは~。」と、叫びたいほどでした。
それが、次のページでアリが現れ、卵を狙い始めると、とたんにカメムシのメスに感情移入してしまい、アリに背中を向けて卵を守ろうとするカメムシのメスを、俄然応援したくなりました。
「アリめ、あっちへ行け!」ってなもんです。

ところが、さらに次のページで、カメムシが羽を羽ばたかせ、強烈な臭いでアリを撃退しているシーンを見ると、一瞬にしてアリへの同情心で胸が張り裂けそうになりました。
だって、アリの何万倍の大きさである人間の私でさえ、この小さな虫の発する臭いに辟易するというのに、この至近距離からまともに臭いを吹きかけられたのでは、アリはたまったもんではアリませんもの。
アリじゃなくて良かった・・・
アリには申し訳ないけれど、そう思ってしまいました。

ということは、まだ人間としてカメムシの臭いに顔をしかめているくらいは我慢しなくては、ということですか。

やっぱり、すべての山に登れ、同様、すべての絵本を読め、ですね。

そう思いながら絵本のページをさらにめくっていくと、最後はカメムシ図鑑になっていました。
日本にだけで1000種類以上いるというカメムシのうち、30種類ほどを、その主な食べ物と一緒に紹介してくれています。
見ていて気づいたのは、羽の色や形状がそれぞれ違うとはいえ、盾のような背中と、独特の脚の張り出し方はどれにも共通していて、もはやその形を見ただけで、私の脳は『臭い』と感じる準備を始めるようで、段々呼吸が速くなってくるのでした。

家の中に、しかも寝具や衣類の中に入り込んで来さえしなければ、同じ地球の生き物として、彼らとも上手に距離をとって暮らしていけるのに、と思うのであります。

ちなみに、私の田舎ではカメムシを“アネコムシ”といいます。
“アネコ”というのは秋田の方言で“若い娘さん”という意味です。
命名した人に直接会って、そのいわれを聞きたいような気がします。


【こおいむしの こそだて】
福音館書店 かがくのとも 通巻474号 2008年9月1日発行
吉谷昭憲 さく
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“コオイムシ”という名前をこの絵本で初めて知りました。
幸い私は秋田の田舎で子ども時代を過ごし、まだまだ水清き環境で育ちましたので、水辺にいたさまざまな種類の虫たちの存在を認知していました。
しかしながら、このコオイムシという虫については何一つ知りませんでした。
こういう虫が確かにいたような気はしますが、名前で呼んだことはおそらくありませんでした。

背中にびっしりと卵を乗せているコオイムシの姿を見たら、この名のいわれは一目瞭然です。
卵を100個も乗せたコオイムシのアップの絵は、まるで宝石のようにも見えます。

それにしても、卵を背負って危険から守り、幼虫が卵の殻を破って頭を出すころあいを見計らって、何度も水面と水中を行き来するコオイムシのオス、子育てに協力的というようななまやさしいものではありません。
メスは卵を産むとどこかへ行ってしまうので、実質子育てはオスだけがしているのです。

折り込み付録にもあるように、自然界ではオスが子育てする例は決して珍しくはありません。
さらに折り込み付録には、こう書かれてあります。
「親が自分の子を育てる努力をすることは、全ての生きものに共通して言えることです。 中略
自然から教えられることはたくさんあります。」

子育てによらず、本当にその通りだと思います。

以上、吉谷昭憲氏の絵本を読み、虫のいる環境がなんと美しいものであるかを改めて思い知りました。
絵本に描かれている風景は、私にとっては実に懐かしいものでありますが、この風景が今も、そしてこれからもずっと日本に存在し続けていくことを心から願います。


【しゃくとりむし】
福音館書店 かがくのとも 通巻510号 2011年9月1日発行
吉谷昭憲 さく
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絵本の右下にシャクトリムシが小さく描かれているのには最初から気付きました。
パラパラの要領で本の端をめくると、シャクトリムシが高速で尺をとります。
ちょっとした遊び心がうれしい。

絵本の始まりも、“科学”というよりは“物語”風です。
昔、農家の人が、水分補給用に土瓶に水を入れて畑へ行き、木陰でちょうどいいと、木の枝に土瓶をかけると、あっという間に地面に落ちて割れてしまった…というエピソードです。

そうです、木の枝だと思ったのはシャクトリムシだったのです。
またの名を「どびんわり」
わかりやすい。

好きか嫌いかと聞かれたら、どうしたって嫌いと言わざるをえないイモムシですが、シャクトリムシは愛嬌のある動きのおかげか、他のイモムシに対してほど嫌悪感を抱きません。
なんだか、一生懸命っていう感じがしますもの。

枝そっくりに擬態していても、鳥やカメムシに食べられたり、アリに狙われたりするところ、同情したくなります。

今さらですが、シャクトリムシもちゃんと蛾になるわけで、なんとなく、シャクトリムシはシャクトリムシで一生終わるような気がしていました。
何たるぼんやり。

例によって、吉谷氏が、わかりやすく並べて見せてくれます。
シャクトリムシの幼虫、好きな植物、成虫。
シャクトリムシといっても、何種類もいるんですね。

中には見るからに“蛾”というのもいますが、“蝶”といってもよくない?というのもいます。
(実際、分類学という学問上、チョウとガは同じ仲間とのことです。by 中島秀雄氏)

美しい絵で描かれている虫たちなら、いつまででも見ていられます。
それが、電柱の明かりに群がる虫たちの絵でも。

折り込み付録の、吉谷氏のことばに、
「このたび四季を通じてこの虫と付き合うことができ、大変良い勉強をさせていただきました。」
とあります。
虫に、「いただきました」です。
これだけでも吉谷氏のお人柄がしのばれます。

「冬、身じろぎ一つせず雪をかぶった姿を発見した時は、大きな感動を得ました。」

また、口から吐いた糸で天敵から身を守る様を見て、
「巧妙な自然のからくりに再び感動した次第です。」

「作者のことば」に、私は感動しました。

(2011年8月 書き加え)


【はぐろとんぼ】
福音館書店 かがくのとも 通巻543号 2014年6月1日発行
吉谷昭憲 さく
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とても親しみのあるとんぼです。
黒い羽根で、体型(?)がスッキリしているので、なんとなくダンディなイメージを、子どもの頃から抱いていました。
つまり、“オス”のイメージでとらえていたのです。

お互いの尾をハートの形にして接続し、交尾をしている姿を見て、メスもいるのだという、当たり前のことを、恥ずかしながら認識しました。

それにしても、虫を初めとした動物界の常とはいえ、黒くて棒のような味気ないメスの体に比べ、オスの体の色は緑色に光ってきれいです。

見慣れていた割には、捕食する姿や、縄張りを守ろうと、追いかけっこをしている姿を、絵本で初めて見ました。
吉谷氏が、いかに根気よく観察して描かれたかが想像されます。

折込付録の、「いろいろなトンボのかお」を見た時には、思わず、「うぎゃ!」と声をあげてしまいました。
まさに、夜店の仮面ライダーのお面のように、25種類のトンボの顔が、こちらに正面を向け並んでいます。
私が小さな虫だったら、この顔を見ただけで失神してしまうかもしれません。

(2014年5月 書き加え)

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