第332夜 【ふしぎな図書館】

【ふしぎな図書館】
講談社 2005年1月31日発行
文 村上春樹
絵 佐々木マキ
画像

心のどこかで、『きっと最後にはハッピーエンドに限りなく近い状態になっているに違いない、絵本なんだから・・・』という願いにも似た甘い気持ちを抱きつつ読み進んでいたことを白状します。

まったく棘のない性格の持ち主である主人公。
自分の意志というよりは、何者か(主に母親)によってそう仕向けられたとおりの人格に仕上がっている彼が、本を借りに来た図書館で、ナゾの老人によって地下の迷路に連れ込まれ、ほとんど拉致されたといっていい状態に陥ります。

老人の言いなりに動く羊男。
彼もまたまったく棘のない性格と言っていいでしょう。
邪悪さやこだわり、そういったものは彼の体内に微塵もありません。
老人の脅迫によって、およそ不似合いな監禁の手伝いをしている彼は、ドーナッツを作るのが得意。

足に重い鉄の玉を付けられているというのに、主人公はこの羊男と、どちらかの部屋を訪れて四方山話でもしている友達同士のように話をします。
状況の厳しさに対して、彼らの会話はドロドロした重さや滞りがなく、さらさらの血液のように流れていきます。

オスマントルコ帝国の税金についての本三冊を暗記して、とろっと美味になった脳みそを、例の老人にちゅうちゅうと吸われるという、想像するのも耐え難い三ヵ月後の自分の未来を思い、主人公は嘆きますが、自分を哀れむよりも、自分を心配するであろう母親を案じているようにみえます。
(あるいはさらにその先の、ムクドリの心配が一番なのか・・・。)

なんて心やさしい息子だろう、と思うよりは、そこまで深く母親の躾というのか洗脳というのか、とにかく絶大なる影響が刻み込まれているとは、という驚きと哀しさと皮肉を感じます。

母親は、良かれと思い、子どもに正しい道を教えようとします。
「時間の約束を守る」だとか、「親に心配をかけない」だとか。
たいていの息子はその教えどおりには育ちません。
でもたまに、教えを鵜呑みにしたり、鵜呑みにしたふりが上手な息子に育つことはあります。

主人公は告白しています。
「(脱出のチャンスをつかむために)おとなしくいわれたとおりにするふりをするのだ。とはいってもそのふりをするのはむずかしいことではなかった。というのは、ぼくはもともとおとなしく言われたとおりにしてしまう性格だからだ。」

「おとなしく言われたとおりにするほうが楽。少なくとも、反発をしてエネルギーを使うよりは、そういうふりをしているほうが無難」という発想は、今や中学生の間では少数派とは呼べない数になっていると思われます。
争いを好まないという点では喜ばしいように見えて、実はもっと厄介なのではと危惧している教師は敏感な人です。
生徒に話をしながら、「のれんに腕押し」、「糠に釘」といった言い回しが思い浮かんでしまうことが激増したと感じている教師も観察力のある人です。

この本を読んで、感じたことをつらつら書いていたら、母親と息子の関係、さらには今時の若者気質について語っていたというのはまさに“不思議”です。

物語は私がぼんやりと願ったハッピーエンドとはいきませんでした。
かろうじて主人公は家に戻ることができました。
が、
「先週の火曜日、母がなくなった。母は原因のわからない病気で、その朝、消え入るようにひっそりと死んでしまった。ささやかなお葬式があり、それでぼくはほんとうのひとりぼっちになった。母もいない。むくどりもいない。羊男もいない。少女もいない。ぼくは今、午前二時の暗やみの中で、ひとりで、あの図書館の地下室のことを考えている。ひとりぼっちでいると、ぼくのまわりのやみはとても深い。まるで新月の夜みたいに。」

ひとりになった主人公は、母親の価値観からも解き放たれ、ラストは初めて“ひとりで”考えているのかもしれません。
そういう意味ではハッピーエンドなのでしょうか。

私のイメージの新月は、口の中で今にも消え去ろうとしている飴玉の最後の姿のように、三日月の形に薄く、舌が触れたらパキリと折れてしまいそうにはかなげでいながら、満月にも劣らぬ、いや、それとは異種の、青く冴えた光を放っている光源です。
新月の夜にひとりで考えることを始めた主人公の、これからがすべての始まりのような気がします。

偶然、昨日の新聞に村上春樹氏のロングインタビューの記事が載っていました。
「文章のリズム」について述べている部分が興味深かったので引用します。
「小説が人をひきつけるいろんな要素の中で、リズムは大きい。リズムの滞っている小説は、一部の人が長く読んだり、たくさんの人が短期間読むことはあるけれど、たくさんの人が長い時期ずっと読み続けることはない」

おこがましいようですが、【ふしぎな図書館】を読みながら、私の脳裏には“リズム”ということばが常に浮かんでいました。
そして彷彿としたのは、内田百閒氏の世界でした。

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