第1565夜 【へそもち】

【へそもち】
福音館書店 こどものとも年中向き 通巻394号 2019年1月1日発行
渡辺茂男 さく
赤羽末吉 え
画像

ピカピカッ という閃光
ガラガラ ドーン という恐ろしい音
時には少しの振動も

雷は大人になった今でも怖いものです。
子どもの頃はずっと、「ごろごろ様」と呼んでいました。

ごろごろ様のイメージはやはり鬼です。
赤くて、角が生えていて、太鼓を背負っていて…
(トラ皮のパンツをはいているという情報は結構あとから得ました。)

ごろごろ様が何をするかというと、それはやはり「へそをとる」ということ。
ゴロゴロときたら、ほとんど条件反射のように、へそに手を当てて隠したものです。

さて、お話です。
へそをとられたものがどうなるのか。
へそをとられた牛は、「もう もう」とは鳴かずに、「ほう ほう」と鳴くようになってしまいました。
桶屋さんは、おなかに「うん」と力を入れようとすると、「すん」と抜けてしまうように。

かみなりがあちこちでよからぬことをするので、案じた和尚さんはお寺の五重塔のてっぺんに古い槍を結びつけます。
そうとは知らず、お寺の上に飛び降りたかみなりは、トラの皮を槍にひっかけて宙ぶらりんに。
「たすけてくれえ!」

かみなりの言い分としては、おへそを食べないと、雨を降らすことができないとのこと。
雨が降らないと作物が育ちません。
ならばと、和尚さんの指揮のもと、村の衆みんなで「へそもち」をたくさん作り、かみなりに持たせます。

本物のおへそより、へそもちの方がもしかしたらおいしかったのではないかしら。


縦長に読む絵本の迫力!
作者の思惑通りです。
空と地上のお話ですからね。

読者は、かみなりの目線と、地上の人々の目線の両方を味わうことができます。


赤羽末吉さんが折り込み付録に書かれています。
「へそをとるということは、言葉の上では何も不思議なことはないが、絵にするとそうはいかない。
なぜ? って考えてごらんなさい。
ヘソはとったあとの穴である。
その穴をとるということは、絵にするとどういうことになるか。
これはまいった。

こういう時は、発想の転換をすることが大事だ。
穴をふさいだ。
かえるの腹だ。
ツルリンとヘソのない腹、 あーヘソがなくなった。
あーヘソがとられたということになった。」

私の場合、子どもの頃から、へそをとられたことを想像すると、決まってツルリンの腹でした。
自然にそう思っていました。
でべそだったわけではありませんが。

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