第434夜 【かぶともり】
【のらっこ】
福音館書店 こどものとも 第379号 1987年10月1日発行
菊池日出夫 さく
はぁ~、なんとも懐かしい光景です。
菊池日出夫氏は長野のご出身のようですが、私の故郷秋田も、まるでこのような環境でした。
農家にとっては子どもも貴重な戦力です。
ほとんどの作業を手で行なっていた頃は、小学生の私でさえ作業を行なえる人“一人”とカウントされていました。
ただし、稲刈りだけはしませんでした。
さすがに鎌を使うのは危ないので、おそらく両親がやらせなかったのでしょう。
もっぱら刈った稲を運んで、杭に掛ける手伝いをしました。
この絵本のように横に渡した杭ではなく、田んぼに突き刺した一本の杭に、上へ上へと掛けていくやり方でした。
乾いた稲は脱穀されます。
懐かしい脱穀機の絵がうれしいです。
それにしても、菊池氏はよく覚えているものですね。
脱穀して出たワラは積み上げられて、私たちの隠れ家になりました。
ワラの山を掘り進んでトンネルのようにするのです。
遊び終わって帰るときには、首やら背中やらがチクチクかゆかったのですが、毎年楽しみにしていました。
「こどもは つかれたぶんだけ おおきくなるずら」
最後のページのお父さんのことばと、山に沈む夕日の絵に、自分の子ども時代がまたまた懐かしくなりました。
【かぶともり】
福音館書店 こどものとも 通巻412号 1990年7月1日発行
菊池日出夫 さく
アルバムの整理をしようとすると、写真を懐かしんでばかりで作業が遅々として進まないものです。
写真を見て感じる懐かしさとはまた違った“懐かしさ”を、この絵本のすべてのページから感じます。
まずは、土の道です。
私が子どもの頃に歩いていた道のほとんどは土でした。
田んぼや畑に通じる道、森や山に通じる道、お隣さんの家へ行く道、すべてが土でした。
雨が降れば水たまりのできる、雑草に縁取られた道です。
それが今や、実家に帰省しても、もはや土の道は以前の半分もありません。
秋田の田舎の子とはいえ、今の子どもたちは土の道を歩いていないということになります。
なんだか妙に同情心がわいてきました。
さらに、彼らへの同情心倍増なのは、子ども同士のコミュニティの絶滅を感じるからです。
この絵本の時代、子どもたちは兄弟プラス近所の子で小さなコミュニティを作り、なんと立派に機能させていたことでしょう。
確かに、他のグループとのいざこざもありました。
暴力もあったでしょう。
しかし、ちゃんと自分たちで決着をつけることができました。
大人がしゃしゃり出る場面はありません。
年上の子は自分より小さな子をかばい、小さな子は大きなj子を敬う、当たり前のことのようですが、こういう関係が今もどこかで存続しているのでしょうか。
大きなクワガタを、大きな男の子たちが肩車をし、汗水流して採っても、それを見つけたのが小さな女の子なら、その子に潔く渡すのです。
「さとみ、すげえの みつけたな」
「おらとも さとみに まけねえで さがさっちょ」
これが“オトコ”というものではないでしょうか。
けんかをしたグループとも、月が出る頃には一緒になって家路につきます。
モモンガが飛ぶのを見ながら、一列になって帰る子どもたち。
もちろん土の道を歩いて。
【ラッキー】
福音館書店 こどものとも年中向き 通巻176号 2000年11月1日発行
菊池日出夫 さく
ラッキーはこのシリーズには欠かせない犬です。
この絵本は、そのラッキーが“ひでちゃん”の犬になったいきさつを描いています。
ですから、これまでの絵本から時間はさかのぼります。
ラッキーは、普通の犬にしては骨太で強そうだと思っていたら、山犬の子でした。
チャンバラごっこの剣になる木を切りに山へ行った“ひで”が拾って帰ったのです。
家で飼う許可がもらえなかった“ひで”は、隠れ家で飼うことにします。
もちろん、いつもの仲間が協力してくれます。
中でも頼りになるのが“きよしちゃん”です。
“きよしちゃん”はこれまでも、稲刈りの手伝いや虫採りの時に、そのリーダーシップを遺憾なく発揮していました。
今回も、自分が搾った牛の乳をラッキーのために持ってきてくれたり、まんじゅうを持ってきてくれたりしました。
ただし、自分たちだけで焚き火をして、“にゅう”を燃やしてしまったりするんですけれど・・・。
最後は、“ひで”の母ちゃんも犬を飼うことを許してくれます。
そんなわけで、彼らの物語には、いつでもラッキーが登場して、けっこう活躍することとなるのでした。
【ほたるさわ】
福音館書店 こどものとも年中向き 通巻268号 2008年7月1日発行
菊池日出夫 さく
ホタルのいる“ほたるさわ”へ、いつものメンバーが、いつものように子どもたちだけで出かけます。
夜というのは怖いものです。
だからこそ、行動を共にする仲間との結束は固くなります。
ホタルがいるということは、水がきれいだということです。
「~沢」という地名は、“沢”のあったところでしょうから、水がきれいな土地ということでしょう。
私の田舎にも、「泉沢」という水のきれいな集落があります。
ホタルを最後に見たのはいつだったのか、思い出せないほど昔になってしまいました。
大学生の時に、妙高高原にゼミの合宿で行ったときに群生しているのを見て以来だとしたら、二昔どころではありません。
でも、ホタルを手のひらに乗せた時の、たよりないような、はかないような感覚はよく覚えています。
【たからもん】
福音館書店 こどものとも年中向き 通巻320号 2012年11月1日発行
菊池日出夫 さく
おなじみのメンバーが、自分たちで作った隠れ家で芋を食べています。
こういうのってワクワクするんですよね。
狭いところで同じものを食べる、そのことで絆が深まる気がするから不思議です。
隠れ家に矢文が届きました。(何時代ですか
)
たからもんをもらいにいくという予告です。
たからもんとは大きなビー玉。
少年たちにとっては、紛れもない「宝物」なのです。
見つめる彼らの鼻の穴が全開です。
様子をうかがいに行った二人が捕まり、後から行った二人も捕まります。
いよいよ本格的なけんかになりますが、なんだか妙に安心して見ていられるのです。
刀は持っているし、ロープは振り回しているし、危険な要素は充分なのですが、きっとこの子たちは“わきまえている”と思わせてくれるのです。
致命傷になるようなことはきっとしないだろうし、本気で相手を痛めつけてやろうなんて思っていないとわかるからです。
思えば、私が子どもの頃のけんかは、こんな風に、本気と“ごっこ”の絶妙なバランスのもとに行われていたような気がします。
“痛み”を推し量る能力を誰もが持っていました。
終われば一緒に家路につくようなけんかだったのです。
ただ懐かしい、と思うだけでいいのかなと心配になります。
今の子どもたちにこの能力があるのだろうかと思うと。
(2012年11月 書き加え)
菊池日出夫氏の絵本は、第226夜、第305夜、第842夜でも紹介しています。
福音館書店 こどものとも 第379号 1987年10月1日発行
菊池日出夫 さく
はぁ~、なんとも懐かしい光景です。
菊池日出夫氏は長野のご出身のようですが、私の故郷秋田も、まるでこのような環境でした。
農家にとっては子どもも貴重な戦力です。
ほとんどの作業を手で行なっていた頃は、小学生の私でさえ作業を行なえる人“一人”とカウントされていました。
ただし、稲刈りだけはしませんでした。
さすがに鎌を使うのは危ないので、おそらく両親がやらせなかったのでしょう。
もっぱら刈った稲を運んで、杭に掛ける手伝いをしました。
この絵本のように横に渡した杭ではなく、田んぼに突き刺した一本の杭に、上へ上へと掛けていくやり方でした。
乾いた稲は脱穀されます。
懐かしい脱穀機の絵がうれしいです。
それにしても、菊池氏はよく覚えているものですね。
脱穀して出たワラは積み上げられて、私たちの隠れ家になりました。
ワラの山を掘り進んでトンネルのようにするのです。
遊び終わって帰るときには、首やら背中やらがチクチクかゆかったのですが、毎年楽しみにしていました。
「こどもは つかれたぶんだけ おおきくなるずら」
最後のページのお父さんのことばと、山に沈む夕日の絵に、自分の子ども時代がまたまた懐かしくなりました。
【かぶともり】
福音館書店 こどものとも 通巻412号 1990年7月1日発行
菊池日出夫 さく
アルバムの整理をしようとすると、写真を懐かしんでばかりで作業が遅々として進まないものです。
写真を見て感じる懐かしさとはまた違った“懐かしさ”を、この絵本のすべてのページから感じます。
まずは、土の道です。
私が子どもの頃に歩いていた道のほとんどは土でした。
田んぼや畑に通じる道、森や山に通じる道、お隣さんの家へ行く道、すべてが土でした。
雨が降れば水たまりのできる、雑草に縁取られた道です。
それが今や、実家に帰省しても、もはや土の道は以前の半分もありません。
秋田の田舎の子とはいえ、今の子どもたちは土の道を歩いていないということになります。
なんだか妙に同情心がわいてきました。
さらに、彼らへの同情心倍増なのは、子ども同士のコミュニティの絶滅を感じるからです。
この絵本の時代、子どもたちは兄弟プラス近所の子で小さなコミュニティを作り、なんと立派に機能させていたことでしょう。
確かに、他のグループとのいざこざもありました。
暴力もあったでしょう。
しかし、ちゃんと自分たちで決着をつけることができました。
大人がしゃしゃり出る場面はありません。
年上の子は自分より小さな子をかばい、小さな子は大きなj子を敬う、当たり前のことのようですが、こういう関係が今もどこかで存続しているのでしょうか。
大きなクワガタを、大きな男の子たちが肩車をし、汗水流して採っても、それを見つけたのが小さな女の子なら、その子に潔く渡すのです。
「さとみ、すげえの みつけたな」
「おらとも さとみに まけねえで さがさっちょ」
これが“オトコ”というものではないでしょうか。
けんかをしたグループとも、月が出る頃には一緒になって家路につきます。
モモンガが飛ぶのを見ながら、一列になって帰る子どもたち。
もちろん土の道を歩いて。
【ラッキー】
福音館書店 こどものとも年中向き 通巻176号 2000年11月1日発行
菊池日出夫 さく
ラッキーはこのシリーズには欠かせない犬です。
この絵本は、そのラッキーが“ひでちゃん”の犬になったいきさつを描いています。
ですから、これまでの絵本から時間はさかのぼります。
ラッキーは、普通の犬にしては骨太で強そうだと思っていたら、山犬の子でした。
チャンバラごっこの剣になる木を切りに山へ行った“ひで”が拾って帰ったのです。
家で飼う許可がもらえなかった“ひで”は、隠れ家で飼うことにします。
もちろん、いつもの仲間が協力してくれます。
中でも頼りになるのが“きよしちゃん”です。
“きよしちゃん”はこれまでも、稲刈りの手伝いや虫採りの時に、そのリーダーシップを遺憾なく発揮していました。
今回も、自分が搾った牛の乳をラッキーのために持ってきてくれたり、まんじゅうを持ってきてくれたりしました。
ただし、自分たちだけで焚き火をして、“にゅう”を燃やしてしまったりするんですけれど・・・。
最後は、“ひで”の母ちゃんも犬を飼うことを許してくれます。
そんなわけで、彼らの物語には、いつでもラッキーが登場して、けっこう活躍することとなるのでした。
【ほたるさわ】
福音館書店 こどものとも年中向き 通巻268号 2008年7月1日発行
菊池日出夫 さく
ホタルのいる“ほたるさわ”へ、いつものメンバーが、いつものように子どもたちだけで出かけます。
夜というのは怖いものです。
だからこそ、行動を共にする仲間との結束は固くなります。
ホタルがいるということは、水がきれいだということです。
「~沢」という地名は、“沢”のあったところでしょうから、水がきれいな土地ということでしょう。
私の田舎にも、「泉沢」という水のきれいな集落があります。
ホタルを最後に見たのはいつだったのか、思い出せないほど昔になってしまいました。
大学生の時に、妙高高原にゼミの合宿で行ったときに群生しているのを見て以来だとしたら、二昔どころではありません。
でも、ホタルを手のひらに乗せた時の、たよりないような、はかないような感覚はよく覚えています。
【たからもん】
福音館書店 こどものとも年中向き 通巻320号 2012年11月1日発行
菊池日出夫 さく
おなじみのメンバーが、自分たちで作った隠れ家で芋を食べています。
こういうのってワクワクするんですよね。
狭いところで同じものを食べる、そのことで絆が深まる気がするから不思議です。
隠れ家に矢文が届きました。(何時代ですか
)たからもんをもらいにいくという予告です。
たからもんとは大きなビー玉。
少年たちにとっては、紛れもない「宝物」なのです。
見つめる彼らの鼻の穴が全開です。
様子をうかがいに行った二人が捕まり、後から行った二人も捕まります。
いよいよ本格的なけんかになりますが、なんだか妙に安心して見ていられるのです。
刀は持っているし、ロープは振り回しているし、危険な要素は充分なのですが、きっとこの子たちは“わきまえている”と思わせてくれるのです。
致命傷になるようなことはきっとしないだろうし、本気で相手を痛めつけてやろうなんて思っていないとわかるからです。
思えば、私が子どもの頃のけんかは、こんな風に、本気と“ごっこ”の絶妙なバランスのもとに行われていたような気がします。
“痛み”を推し量る能力を誰もが持っていました。
終われば一緒に家路につくようなけんかだったのです。
ただ懐かしい、と思うだけでいいのかなと心配になります。
今の子どもたちにこの能力があるのだろうかと思うと。
(2012年11月 書き加え)
菊池日出夫氏の絵本は、第226夜、第305夜、第842夜でも紹介しています。





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