第333夜 【言葉はひろがる】

【言葉はひろがる】
福音館書店 たくさんのふしぎ 1988年3月1日発行
鶴見俊輔:文
佐々木マキ:絵
画像

文字通り、“ことば”についての絵本を取り上げておきながら、今私は、ことばではないもので伝わるものに想いを馳せています。

昨夜姪が亡くなりました。
十一歳です。
彼女がガン摘出の手術を受けたのは、六年ほど前。
苦しい抗がん剤による治療を耐え抜きましたが、副作用による肺の衰弱が激しく、最期は肺が繊維化し、穴があき、ついに力尽きました。

彼女がまだ病魔に侵される前ですから、たぶん四歳くらいの時だったでしょう。
一緒に温泉に行った時のことです。
お母さんっ子で、何をするにも「お母さん、お母さん」だったのに、なぜかその時は私が彼女の髪の毛を洗ってやりました。
ひよこのように頼りないはだかんぼうの姪をとなりに座らせて、勢いよく頭を泡立たせてクルクル洗髪してあげていると、むこう隣りにいた私の母が、
「おまえ、よくこわくないねえ。」と言いました。

確かに、姪は腕も脚も首も細かったです。
力を入れたらポキリと折れてしまいそうなくらい。
それに対して私の力は、もしかしたら手加減なく思われたかもしれません。

私は、自分の子どもに対するのと同じように、姪たちのことを叱ったりしていたので、きっと彼女にとっては“こわいおばちゃん”だったでしょう。
そのおばちゃんに、グリグリと有無を言わさずに頭をなでられながら、彼女は強い視線で時々私を見上げては、じっと座っていました。

でも私にはなんとなく、ほのかな確信がありました。
『わたしのことを、みんなと同じように扱ってくれてる』と、姪が、1ミリくらいはうれしく思ってくれていると。
ことばはなくても、伝わるものが確かにありました。

彼女を思うと、あの温泉の洗い場での数分間の洗髪、そしてそこでかよったナニカが偲ばれ、涙が止まりません。


世界には争いが絶えませんが、異なることばで暮らしているにもかかわらず、分かり合おうとする勢力の方が圧倒的に優勢なのは、ことばではなくても伝わるものがあることを、人類皆が知っているからでしょう。
それでも、もっともっと分かり合いたい。
そのためにことばほど有効なものはありません。

そして、さらに共通の理解を速やかにしてくれる絵文字が存在し、これからも発達していくことは、とても喜ばしいことだと思います。

ことばの力と、ことばに頼らない力のことを考えた日でした。

しーちゃん、天国で思いっきり駆けまわってね。

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