第330夜 【まちには いろんな かおが いて】

【まちには いろんな かおが いて】
福音館書店 こどものとも 通巻498号 1997年9月1日発行
佐々木マキ 文・写真
画像

昔、実家の天井に奇妙なシミがあって、寝ようと横になると、イヤでもそれが目に入るのです。
しかもそれは、悲しそうなというのか気持ち悪いというのか、とにかく決して愉快な気分にはさせない“顔”に見えるのでした。
目をそらそうと寝返りを打って横を向いたり、ギュッと目をつぶったりするのですが、もはや一度見てしまった“顔”は、ことのほか頑強に脳裏に焼きつき、なかなか剥がれてはくれません。
すぐそばで寝ている親に言ってもしょうがないことだと、子ども心にもあきらめて、ひたすら激しい睡魔が自分を早いところまどろみの世界へ連れ去ってくれないかと願っていたものでした。

“顔”を探すことは楽しいことなのか・・・。
私にとっては価値観の大転換です。
ページをめくるたび、愉快な気持ちが加速していきます。

長新太さんのいう、“やわらか頭”の持ち主でないと、どんなにラッキーであろうとも、こんなにもたくさんの愉快な顔を収集することは難しいでしょう。
特別なアンテナが、佐々木マキ氏の体内に内蔵されているとしか思えません。

自分の名前や好きな人の名前、あるいは自分にゆかりのある地名や場所の活字が、探してもいないのに、新聞や雑誌の紙面から目に飛び込んでくるということがあります。
“想っている”という電波が吸い寄せるのでしょうか。

町を歩いている佐々木マキ氏も、おそらく血眼になって“顔”を探しているというよりは、むこう(つまり“顔”)から「ここよ!」と、その存在をアピールしてくるか、例の活字のように、自ら氏の瞳にダイブしてくるのではないかしらと思うのであります。

それにしても、この“顔”の数々。
「おみごと」&(見せてくれて)「ありがとう」と言うしかありません。

「しずかに なにか かんがえてる かお」
と紹介されているコンクリートの塊には、思わず手を合わせたくなります。
「こまってる かお」
隙間に挟まった石は偶然なのでしょうか。
それとも、何かの定めでここにこうして収まっているの?

裏表紙のマンホールにいたっては、風がひとたび吹いたならもうそこには無いかもしれない落ち葉が、今一瞬の芸術を作り上げているわけなんです。
“一期一会”と言わずして何と言いましょう。

説明を放棄するようですが、「見てもらうしかない」ということです。

ちょっとしたことでクヨクヨしていたり、必要以上に込み入った思考のスパイラルにはまり込んで自分を苦しめている状況にある人なんかに、サラリと手渡してあげたい絵本です。


自分のブログの編集一覧表に、佐々木マキ氏の名前がズラリと並んでいるのを見ると、陶酔状態になります。
こんな日がずっとずっと続けばいいのに、と思いながらぼ~っとしている時間のなんて幸せなこと。
そんな時の私は、もしかしたらこの絵本のどこかにあるような顔をしているかもしれません。

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