第164夜 【ふしぎなはこ】

【ともだちさがしに】
福音館書店 年少版こどものとも 通巻212号 1994年11月1日発行
長谷川摂子 ぶん
高久明実 え
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ねこのじゅうべえは、友達を探しに出かけます。
そこへ飛んできて声をかけたのは大きなハエです。
「ねこさん ねこさん あそびましょ」
「おまえなんか おまえなんか、おれの ともだちに なれるもんか」
この反応、子ども向けの絵本らしからぬ、と一瞬思いますが、なんとも正直でにやっとしちゃいます。
声をかけられても、仲良くなりたい人ばかりじゃありませんからね、実際。

しかし、結局はハエを捕まえようとくるくるやって、追いかけっこをして遊んだことになりました。
そのうちハエは飛んでいってしまいます。
「ふん、はえは なかなか おもしろい」

池の中から声をかけたのはケバイ魚。
「ここで いっしょに あそびましょ」
「おまえなんか おまえなんか、おれの ともだちに なれるもんか」 
またしても。

でも、やっぱり結局は池に入って魚と追いかけっこをして遊んだことになりました。

びしょびしょにぬれた身体も、ぽかぽかのお日様の下を歩いているうちに乾きます。
じゅうべえ、またまた歩き出します。
次にやってきたのはダンゴ虫。
「ねこしゃん ねこしゃん、あそびましょ」
「おまえなんか おまえなんか、おれの ともだちに なれるもんか」

もうわかっています。
しっかり追いかけっこが始まるんです。
ダンゴ虫を追いかけていると、知らないねこがやってきて、「わたしも いれて」
二人はダンゴ虫サッカーをして遊びます。

ハエも魚もダンゴ虫も、じゅうべえがこのねこに出会うために必要だった存在でした。
これはすべて運命と言っていいでしょう。

高久明実さんの絵には、そこはかとなく不思議な雰囲気が漂っています。
まずは、メインキャラ以外の生き物がたくさん描かれています。
それも、ゴキブリとかクモとかカタツムリとかヘビとか、はっきり言ってマイナーな生き物が。
なんなのかわからない生き物もさりげなくいます。
小川の水を飲んで出かけるところの木の陰にいるのは森の精? それともかっぱ系宇宙人?
本物のかっぱも池の中にいますけど。
草むらにもかっぱ系の生き物が・・・。
亀の甲羅の顔は、ナスカの地上絵を思い出させるような紋様です。
葉っぱのてっぺんがパンダですから。

通常“顔”を持たないものに顔があるのって、無条件でおかしいものですが、あっちこっちに顔だらけです。 木にも石にも。
バ、バカボンのパパ?って、一瞬あせりましたが、『そんなわけはないだろう』と自分をなだめてみたものの、すぐ隣りにいるのはやっぱりバカボンに見えてしまい、心拍数が少し上がりました。

こんなにたくさんの“生き物”にあふれている絵本だからなのか、なにかに囲まれている暖かさを感じるのでした。
高久明実さんは、遊び心満点の人なのでしょうね。

高久明実さんの絵本は第169夜でも紹介しています。

【ゆきこんこ】
福音館書店 年少版こどものとも 通巻251号 1998年2月1日発行
長谷川摂子 ぶん
降矢洋子 え
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この絵本の感覚を、自分の体験で思い起こせる生い立ちに今さらながら感謝します。
この雪景色は日本海側のものだと思われます。
水気の多い重い雪が、お社の上に綿帽子のように乗っている絵を見た瞬間に思いました。

みのぼっちをかぶって歩いていた子どもは、さすがに私が子どもの時にもすでにいませんでしたが、フードのないただのみのだったら、ずいぶん大きくなるまで現役で使用されていました。
マントのように背中にみのを付け、かさをかぶると(かさ地蔵のおじいさんみたい)、誠によく雪をよけられて、雪かきの時なども快適なのでした。

リス、クマ、ヘビ、カエルが土の中で丸くなって眠っている絵を見て、次に生まれてくる時には、冬眠する動物がいいなあと思うほどです。
外は雪で寒いのに、土の中は暖かそう。

子どもたちは元気に遊びます。
背中や長靴に雪が入ったりして、一時的、局部的に不快感を味わうことはありますが、子どもの時には寒さが気にならないというのは本当です。
遊びたい欲求のほうが勝っているからなのでしょう。

そり遊びには娯楽というものの悲しい定めが凝縮されているような気がします。
そりを引いてうんこらどっこい時間をかけて上った坂を、滑り降りるのはあっという間です。
『そりゃないよな』という気がかすかにしますが、それでも坂の下に降りきったとたん、またもやそりを引いて坂を上り始めてしまう、不思議な魅力がそり遊びにはあるのです。

一度、北海道で、大きなタイヤのチューブのようなものをそり代わりに滑って遊んだことがありました。
もういいかげんな年齢になってからのことですが、同じことが起きました。
チューブを引いて坂を上るのは大変なのですが、滑り降りるとまた上らずにはいられないのです。
キャーキャー言いながら滑り降りる、ほんの数秒のために。

お腹が減った子どもたちが家へ帰っていきます。
絵本の案内役だった白いウサギが、ぽつんと残った雪だるまを見守っています。

父によると、秋田でもずいぶん前から、山から野うさぎの姿が減ってしまったということです。

降矢洋子さんの絵本は第170夜でも紹介しています。

【ぐやん よやん】
福音館書店 こどものとも年少版 通巻267号 1999年6月1日発行
長谷川摂子・ぶん
ながさわまさこ・え
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秋田はオノマトペの宝庫です。
学生の時にオノマトペの文献を読んでいたら、オノマトペの多い言語は幼稚であるというようなことを書いている人がいて、私は本気で憤慨しました。
秋田を離れて標準語生活になった時に、最も歯がゆかったのは、秋田では一般的なオノマトペが使えないことでした。
なぜ、標準語を使っている人たちは、あれらのオノマトペを知らずに言語活動ができているのか。
私に言わせれば、オノマトペの豊富な秋田の人々は、実に表現力にすぐれていると思います。

さて秋田では、既存のオノマトペ以外にも、即興で的確なオノマトペを口にできる人々がゴロゴロいます。
私はつい習慣で、関東の友人の前でもそれをやってしまい、不審な顔をされたことが何度もあります。
オノマトペは自由に作り出していい環境が、標準語の地域ではまだ整っていないことをうっかりしていました。
新しいオノマトペを自分の口から音声で発した時の愉快な気持ちを知らずに暮らしている方々に同情します。

この絵本の「ぐやん よやん」がオノマトペなのかどうかはわかりませんが、絵を見て、思ったとおりの音を口にしてみることだとしたら、私が秋田でやっていたことと同じ種類のことです。
絵ではなく、自分の気持ちや何かの状態を表現することが多かったのですが、絵を見てやるのも楽しいものだと知りました。
どうでしょう、音が口からでてきましたか?

【ペンタとぼく】
福音館書店 こどものとも年少版 通巻276号 2000年3月1日発行
長谷川摂子/ぶん
アンヴィル奈宝子/え
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この絵は好きだ、と、見た瞬間に思いました。
バムとケロを見た時と似ています。
偶然にも犬が主人公です。
ここではペンタですが、アンヴィル奈宝子さんの絵本に出てくるラスチョも同じような犬で、とてもユニークです。

誰かと一緒だと楽しさが倍以上になる、というより、誰かと一緒だからできることってあります。
折り込み付録では、長谷川摂子さんが「子どもは魔法の杖」と言っています。
確かにそうです。
子どもと一緒だと、一人じゃ絶対やらないことも自然にできてしまいます。
子どもが小さいときだけではありません。
子どもが生きている人生は、自分が一度は生きた時代です。
それをもう一度なぞっていける楽しみ、特に同性だったらなおのこと。
そして、自分と違う部分が多ければ多いほどおもしろい。
子どもを持ってよかったと、心から思います。

さて、ペンタとぼくは、ひょっとしたらお母さんにはしかられてしまうかもしれないけれども、それだからこそおもしろいことを次々にやります。
ベッドをトランポリン代わりに飛び跳ねたり、なべやお皿をたたいたり、ビスケットの箱のふたについているセロファンを切り取ったり。
そうじゃないことも、もちろん楽しい。
カーテンに包まって、自分の姿を消すのって、絶対楽しい。
学校のステージの緞帳でもやっていました。
梅干を丸ごと食べて、酸っぱさに自分の顔が反応するのも楽しい。
しゃがんで水たまりをじっと見つめるのも楽しい。
炭酸のはかない泡が、コップから飛び出して、ほっぺに触れるのも楽しい。
大きな大根を、赤ちゃんのように抱っこするのも楽しい。
お風呂につかりながら、津波を起こすのも楽しい。
本当に楽しいことだらけ。

楽しいことに敏感な子ども時代が過ぎても、本物の子どもがそばにいてくれたら、いつでもあの楽しさをもう一度感じる準備はできています。

アンヴィル奈宝子さんの絵本は第171夜でも紹介しています。

【ふしぎな はこ】
福音館書店 こどものとも年少版 通巻297号 2001年12月1日発行
長谷川摂子 ぶん
斉藤俊行 え
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なんだか特殊な光線が当たっている絵のように感じます。
平和な縁側に差し込むセピア色の懐かしくも暖かい光だったり、零下数十度の引き締まった空気を通る光だったり。
それらが交互に現れます。
日本の平均的な家庭の様子と、サンタがそりに乗って駆け抜けている雪の世界とが、1ページごとに現れます。
その落差にドキドキします。
二つの違う世界を、同時にのぞいているのですから。

さて、まずは、男の子がゴミ捨て場で箱を見つけます。
中をのぞいてみると、サンタさんがいます。
家に持ち帰ってベッドの下に隠します。
お母さんが洗濯物を干している平凡な風景です。
お母さんがクリスマスケーキを作りながら、「サンタさん、お寝坊しないといいけどねえ」なんて言うものだから、男の子はサンタさんのことが心配になって、サンタさんの箱を見てみました。

次のページがいきなり氷と雪の白い国です。
サンタさんが白くまに手伝ってもらって、そりにプレゼントを積もうとしているところです。
男の子は、サンタさんがちゃんと出発しそうなので安心します。

掃除をしているお母さん、男の子はサンタさんのその後が気になります。
お母さんが、「サンタさん、氷の海に流されていないといいけどねえ」なんて、またしても言うものだから、男の子はまたサンタさんの箱を見に行きます。

おお、次のページは針葉樹の森、雪原をサンタさんを乗せたそりが疾走しています。
それを見て男の子は安心します。

お父さんも帰ってきて、ケーキを肴に晩酌です。
男の子はサンタさんがもうすぐ自分の家に来るのか気になります。
箱を開けてみると、雪で真っ白になった知らない町の上をサンタさんは飛んでいました。

サンタさんが来るのか気にしながら、男の子はベッドに入ります。
寝かしつけていたお母さんがいなくなってから、ベッドの下の箱をのぞいてみると、サンタさんは男の子の町に来ていました。
真っ暗な夜の中に、家の数だけ明かりがともっています。
その明かりは、善良な人々の暮らしの証のように思われます。
一つ一つの明かりの元に、その数だけのサンタさんがいるのでしょう。

次の日の朝、目を覚ました男の子が、サンタさんからの贈り物を開けて大喜びしたのは言うまでもありません。

我家も、できるだけ長い間、子どもたちにはサンタさんの存在を信じてもらうべく、夫とできるだけのことはしました。
しかし、娘がピアノをほしがってサンタさんにお願いしているのを知った時には、正直困りました。
電子ピアノで我慢してもらうとして、それを夜の間に枕元に置いておくのは無理なことでした。
どうしたって、トラックで運んでもらわなければなりませんでした。
サンタさんからの贈り物がトラックに乗ってやってくるのは、どう考えても不自然です。
そこで、私たちは苦肉の策で、サンタさんからの手紙なるものを書き、娘に渡しました。
「サンタさんから手紙が来たよ」
その内容は、「ピアノは重くてそりに乗せられないから、トラックで運んでもらうように頼んでおきました、サンタより」というものでした。
娘がそれを、私たちの工作と見破ったのかどうか、聞く勇気はありませんでした。 
今も、そのことについては触れないようにしています。
お互いのやさしさというのか、仁義のようなものなのかもしれません。

それにしても、子どもにサンタさんの存在を信じさせる工夫は、親の醍醐味のように思われます。
それを堪能していた日々はとても短かったようにも思えます。

長谷川摂子さんの絵本は第160夜~第163夜でも紹介しています。

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